MENU
– ARCHIVE –
英語を話せるようになった勉強法 CLICK!

シングルマザーが未経験で介護職に就いた感動の体験談

エステティシャンとして、働いていたある日ふと思った。

『わたしこの仕事向いてない』
『介護の仕事したい』

なぜふと思ったのか分からないが、働いたこともない、見たこともない介護の世界にいきなり飛び込んでみようと思った。

迷いはなく、すぐにエステの仕事を辞め、面接に行った。

私は学歴も、経験も、資格もなにもない。

あるのはやる気くらいで、受かるか受からないか分からないような面接が終わった。

確信はなかったが、自分の中でなにかが前進した気がした。昔から誰かの役に立ちたい、誰かを笑顔にしたい、困ってる人を助けたい、おばあちゃん、おじいちゃんが好きだったから。

こちらは体験談口調で書いています。

MENU

面接はなぜか合格


なぜか面接には合格し、そこから私の介護士としての生活が始まった。

介護職で働き出してから毎日が変わっていった。

全てはじめてなので、利用者さんがくれたお菓子を食べちゃって怒られたり、認知症の人の対応が分からなくて戸惑ったり、まずは覚えることに必死な1ヶ月を過ごした。

そして、慣れてきた頃、トイレ介助、入浴介助、移乗が一人で出来るようになり、利用者さんとの会話をゆっくりと楽しめるようになった。

その頃、私はひとりの女性に出会った。名前は仮にトミさんとします。

トミさん96才との出会い


トミさんとの出会いは、わたしに介護の素晴らしさを教えてくれた、

トミさんは96歳で目が見えなくて耳もかなり遠く、認知症で車椅子生活だった。

すでにそこのデイサービスには3ヶ月ほど通っていたのだが、誰の名前も知らずに、誰に介護されているかも目が見えないのでわからない。

だから、いつも不安そうで、口を開けば「トイレに連れてってください」となんども言っていた。

目が見えなくていつも不安そうなトミさん

私は介護経験はなかったが人の気持ちは結構組み取れる自信があり、『この人はきっと目も見えなくて周りの声も聞こえないからずっと不安なんだ…』『その不安をとにかく少しでも無くしてあげたい』と思い、まずは私の名前を教えることにした。

そうすれば、この人が私を助けてくれていて、この人がいるから安心だと思ってくれるに違いないと思った。

トミさんに名前を覚えてもらう挑戦の日々

初めはまったく覚えてくれなかったが、何回も来る日も来る日も伝えた。

「トミさん!ひとみだよ!おはよう」毎日、毎朝手を握り挨拶をする。

「ひとみさん、おはよう」と答えてくれるのだが、午後には忘れてしまう。

「トミさん、だーれだ?」「あ〜マイコか?(娘さんの名前)」

何回も何回も伝え続けた。常に大きな声で耳元で、手を握る。手や声やなんでもいいので、なにかの感覚で覚えて欲しかった。

全く覚えてくれなかったがそれでも諦めずに、お手伝いをさせてもらう時には「ひとみです。〜〜さん、トイレにいこうね」と名前を言って、安心してもらえるように伝え続けた。

ある日突然呼んでくれたわたしの名前

そしてある日、朝お迎えに行った時「トミさんおはよう?誰かわかる?」と聞いた時。

「ひとみさんかね?」と言ったのだ。

もうね、感動した。それだけじゃない。この日を境に、トミさんは私の名前を忘れなかった。

「ひとみさん、いる?」「ここに、いるよ」といって手を握る。いろんな話をした。歌も一緒に歌うために覚えたりした。とにかくいつか忘れてしまうとしても笑う時間を増やしたかった。

他の職員からの僻み 

この名前を覚えてくれたことは嬉しかったのだが、私自身、他の職員さんから好かれていなかったのできつかった。その理由は、私の名前しか覚えてないので他の方が介助している時も、私の名前をいつも言うようになったからだ。

トミさんが他の職員さんに「ひとみさんかね?」と聞き、「あ〜ひとみさんね!ちがいます。トミさん、わたしでもいい?まあ嫌って言われてもこまるけど」と何回も言われ辛かった。

それでもいつも笑顔をくれるトミさんが好きなので、そんなことは気にしないように頑張ることにきめた。

リーダーの人もかなりいい人だったので、いつも私を「すごい!名前覚えてくれたんだね!」と認めてくれていた。

そのおかげで自信を持って介護ができたと思う。

他の職員への疑問

そもそも、なぜみんな名前を教えないのか?言わないのか?

歩けて元気な人には名前を教えて、認知症がひどい人や、目が見えない人には教えないのだろうか。

諦めているのだろうか。私には疑問でしかなかった。

私は多分無知だったから、できたのかもしれない。介護の職への固定概念0ではいったので、自分の思うような介護をした。

それで結果がでたから、自信がついたし確信にかわったのだ。

平手打ちサトさんとの出会い

もう一人、私の顔を平手打ちしてきたおばあちゃんがいた。名前は仮に、サトさんとする。

平手打ちをされた時は、はじめはびっくりしたけど、いきなりすぎたのでさすがに笑った。

サトさんも重度の認知症で、会話もできない状態だった。とにかく目をそらしていると叩かれる(笑)

はじめは怖かったが、だんだんサトさんのことが知りたくなった。会話も理解できなければ、口をひらけば『ばーか!あほ!』と言われる毎日。でも歩く時手繋をぐと、笑顔でこっちをみてくれる素顔がすっごく可愛くてサトさんのよさがすごく伝わってくる。

そして、かわいいな〜と眺めているとばーか!とまた言われ手が飛んでくる(笑)もうコントだった(笑)

サトさんの可能性を探す日々

わたしは誰に対してもその人の可能性を諦めたくなかった。

『この人のできることはなんだろう?』『この人ができたことで家族がよろこぶことってなんだろう?』家に帰ってもずっと考えてたし仕事が好きだった。

ここの施設では、家に帰る前に歌を歌う習慣がある。

サトさんはいつもリズムを刻んでいたので、歌えるんじゃないか?と思い、歌詞を渡した。そしたら、その歌詞の紙で叩かれた。うん。そうだよね。

いっしょに歌を歌ってくれた日

とりあえず、一緒に歌ってみた。マイクを持たせると叩かれそうでちょっと怖かったけど、試してみたら、マイクを持って歌ってくれたのだ。

感動したし他の職員さんもびっくりしていた。あ〜こういう可能性って引き出せるんだ!というか無限大だし、それを諦めない人さえいれば、もっといろんな事ができて、たくさん笑うことができる。

もっともっとみんなを笑顔にしたかったし、介護の仕事ってほんとに価値のある経験を与えてくれるなと毎日が充実していた。

認知症について私が思うこと

家族は辛いこと、大変なこともあるだろう。いや絶対ある。私も自分の親がなったらきっと大変だと思うし、予想ができない。

でも私たちができるのは安心して預けてくれている家族のために、安全で楽しくて、笑顔が増えてまたきたいとおもってもらえるような、第二の家とおもってもらえるような価値のある場所を作ることだ。

その人が生きててよかったと思えるような、瞬間を作り出したい。

もっとやれることを増やしてあげたいし、もっと・・・もっとが止まらない(笑)

介護職は辛かったこともあるけど、結果自分が成長できた

そんな思いがある中、辛かったこともある。やっぱり職場の人とうまくやれていない自分もいた。

そこだけが辛かったかな(笑)私は、介護士になって、かなり人を幸せにすることで自分の心が満たされることに気づいた。

こんな素敵な仕事ないと思う。

給料が低くてもこの仕事をする価値がわかればきっともっと人が増えていく業界なのかなって思う。

何が言いたいのかというと介護職は自分を見つけられる場所、試せる場所だった。そしてありのままの自分を受け入れてくれる、利用者さんたちのおかげで充実した日々を過ごせた。

私は英語、ITが学びたくて、介護の仕事からは今は離れているが、今後も介護に携わるなにかができたらいいなと思うし、今でもあの日々を鮮明に思い出せる。だから、もしやりたいと1ミリでも思ったら介護の仕事、オススメだよ。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

MENU
閉じる